精力的に輸出戦略を展開

85年以降、積極的に輸出を伸ばした韓国自動車産業ではあるが、89年からの輸出不振をきっかけに、国内の生産体制の見直しがせまられており、この事態について、輸出や中古車情報公開を急ぎ過ぎたとする見解も見られます。


同じく精力的に輸出戦略を展開しているMMCシティポーンの場合も、カナダ向け輸送にあたり、欧州・中東帰りの日本郵船(三菱グループ)の空き船を利用できるという特別な利点がある上、KD部inの輸入関税免除など、輸出産業に対`する税制上の支援に依存してはじめて輸出が可能となったのです。


アジア自動車産業のテイクオフを近い将来に予想しつつ、中長期的にアメリカの需要動向をにらむのならともかく、現時点でアメリカの市場許容力に期待するのは、時期尚早というべきではないでしょうか。

華々しいデビューに貢献

ASEANからはじめて輸出に成功したタイ・MMCシティポーンのColtは、MMCシティポーンが6年間で10万台の乗用車を輸出する契約をカナダ・クライスラーと結び、はじめて輸出が可能となったものである。


このように、アメリカ自動車企業は自社の販売ルートをNIEsやASEANの新生の自動車企業や中古車の情報業界へ提供し、その華々しいデビューに貢献したといえよう。


しかしアジア諸国の自動車産業は、いずれも経済性を無視した国家の援助や、提携先企業の協力なくしては、本格的な輸出にはまだほど遠い段階にあります。

電子産業

アジア諸国の電子産業はキーボードやブラウン管などの周辺機器から順次競争力をつけることができました。


この意味では、アメリカはアジアにとっての魅力的な市場として、アブソーバーの役割を果たしたといえます。


それでは果たして、アジアの中古車情報にとってもアメリカは牽引役たりえるでしょうか。


韓国の起亜自動車に注目してみましょう。


起亜製の「フェスティバ」がアメリカで販売されていることは前述したが、これはマツダが中心となって大衆車を開発し、起亜が生産して、大半をフォードが米国で販売するといいます。


85年7月の3社合意を受けて実現したものです。


同様に大宇は「ルマン(GMの独子会社オペルのカデットがベース)」をGMの販売網に乗せ、87年に3.5万台あまり輸出した。

日本と同様の品質を要求

台湾の日系アッセンブリー・メーカーでは、コスト・ペナルティを課すことによって中古車情報に日本と同様の品質を要求しています。


「協力会」のこのようなメリットを通じて、日本自動車企業はアジアの生産基盤を強化していくことを目的としています。


さて、アジアの自動車産業にとってのアメリカですが、アジア諸国を舞台にした分業といえば、アメリカ系電子産業のオフショア生産、すなわち、アメリカから電子の半製品輸出→アジアで現地加工→アメリカへの逆輸入というアウトソーシングが有名です。

技術提携・資本提携が実現

起亜では「協力会」活動として、会員企業に対し資金援助や情報通信ネットワークの整備負担を行っているが、これは部品メーカーが少数に厳選されているからこそ可能となったものです。


第二に、技術援助も効率的になる。


中古車情報によると、技術提携に関しては、アッセンブリー・メーカーの立場から、自社系「協力会」の会員企業と現地の部品企業との提携を仲介しやすくなるそうです。


1987年以降、マツダと起亜が仲介役となって、マツダの系列部品メーカーと起亜の系列部品メーカーとの問に20数件にのぼる技術提携・資本提携が実現しました。


また日常の取引関係の中で、部品メーカーへの日々の教育や納期・品質の要求などが、その育成に役立つはずです。

日系の現地企業

日本の自動車企業がアジア諸国で「協力会」を組織するに当たって、どのような困難につきあたっているのか見て来たが、それにもかかわらず、日系の現地企業が「協力会」づくりを目指しているということは、何を表しているのでしょうか。


更に、韓国などで現実に「協力会」を形成して、どのような成果をあげているのか整理してみると、以下のようになります。


第1に、部品メーカーの管理が容易になるという点です。


一次、二次、三次というように階層的に組織されたこの仕組みにおいては、アッセンブリー・メーカーは少数の中古車を管理するだけで全体を把握することができます。

経営手法を展開するためのニーズ

自動車生産の全工程のうち、ごく限られた部分に特化するということは、このフィリピンの例のように「協力会」形成のきっかけを生み出さなかったり、たとえ形成されても、それは一部の部品、一部の中古車情報や製品の技術の範囲に限られたりすることになり、それが日本の国内で形成されているような部品購買の「網目」のように広い裾野を持つかどうかは疑問です。


現地において、日本国内でイメージされているような経営手法を展開するためのニーズが希薄であるために、そうした背景から切り離して「協力会」という制度だけを移転しようとしても、これをスムーズに行い得ないのはむしろ当然でしょう。

生産継続年数

日本のメーカーは4年ごとのモデル・チェンジの結果、1982年から90年の間にモデル数を47から84へと2倍近くに増加させています。


これに対してアメリカのメーカーは36種から53種へと若干増加させているが、ヨーロッパのメーカーは企業の合併の影響もあってモデル数を49から43に減らしており、また、カスタム・メーカーも20モデルを維持してきています。


生産継続年数は日本のメーカーが1.5年から2年であり、これは4年ごとのモデル・チェンジに対応しています。


アメリカの中古車情報やメーカーは2.7年から4.7年に長期化し、日本の倍以上継続しています。


自動車需要

自動車需要が全体として量的に拡大している間は、市場競争において有効な役割をはたしたが、いったんこうした量的拡大の条件が失われると、そのバリエーション・コストはそのまま価格をおし上げることになります。


たしかに、中古車検索にみられるように販売が一定期間(3年程度)を経過すると急速に落ち込み、この時期にニュー・モデルを投入することで再び販売台数が増加するというサイクルが形成されています。


このように自動車の販売市場におけるモデル・チェンジ効果は大きい。


そして、日本、アメリカ、ヨーロッパ5社(PSA、ベンッ、ボルボ、サーブ、ジャガー)のモデル数と製品の寿命をみたものもあります。

日本のメーカー

日本のメーカーはアメリカのメーカーのように、特定市場でフルラインを形成する力も、ヨーロッパのメーカーのように一部車種で固定的な顧客を世界中に確保するということもできない。


この結果が、日本のメーカーの供給可能な市場は右下の高所得の高級車嗜好層という限定された領域に縮小せざるをえなくなっているのです。


そして、フレキシブル生産とモデルチェンジの短縮化についてですが、日本の中古車情報や自動車メーカーは、80年代から90年代にかけて、モデル・バリエーションの多様化というマーケティング戦略をとってきました。